「努力すること」について
僕は小学4年〜高校まで、野球をやっていました。
小・中はわりとゆるめの感じだったのですが、
高校は「全国制覇」が掲げられ、毎日(正確には週6)厳しい練習に励んでいました。
練習の内容も厳しければ、監督・コーチの指導も厳しめで、
心身ともにきつかったです。(今でもたまに夢に出てきてうなされます)
そんなきつい部活でしたが、試合での成績はというと、雑魚でした。
特待生も取っている私立なのに、田舎の公立高校にコールド負けしたりとか、
ほんとに、なんでこんなに練習してるのに!って何度も思いました。
しかも、試合に負けると、監督・コーチは激怒して、
「まさか負けると思わなかったよ!」とか言われて、
さらに練習がきつくなるんです。
コールド負けだよ?あんたら指導者の認識がおかしいんじゃないの?
とか思ったけど、もちろん誰もそんなこと言えず、
理不尽な怒りと、地獄のような練習にさらされる毎日だったわけです。
その一方で、学校生活において、部活の裏側である勉強に関しては、
僕は、そこそこできる方でした。
いや、トップクラスでした。
この自慢に気を悪くされた方がいたら申し訳ないのですが、
さらにイラっとすることに、勉強してないのに、トップクラスでした。
僕がこの少年期から学んだことは、
努力と結果はそんなに関係ない、ということです。
もちろん、全く勉強しなかった時と、そこそこした時では
成績も変わったので、勉強すること自体が無意味とは思っていません。
(部活で勝てなかったのはいまだに謎ですが・・・)
ただ、他人と努力を比較することは無意味だなと、
あと、努力=キツイことを続ければ報われるみたいな考え方は、
断じて間違っていると思っています。
努力するっていうのは、なにかを果たすための手段であって、
その手段がキツイ場合が多いから、努力はキツイけど、
成功するためには必要だ、みたいな考えになっちゃってると思うんです。
なにか達成したいことがあれば、それに向かって努力するというよりは、
なにかしらの手段を講じていく、という風に考え、
それは楽に越したことはないと思っています。
(キツイことにやりがいを感じる場合は、それでいいと思いますけど)
成功できるかって、結局のところ、そこまで続けられるかだと思うし、
その先のことも考えると、楽にできて、ずっと続けられるが一番だと思います。
あと、努力するっていうと、未来の目標達成を第一にして、
今を捨てている(我慢している)気がしちゃうんですよね。
あらゆる目標の行き着く先っていうのは、
人生を豊かに、幸せにすることだと思うので、
それだったら、キツイ努力を選ぶのではなく、
楽しい、刺激的な(安定が好きな方は安定した)今の積み重ねが大事かなと、
そう考えながら生きています。